最近Youtubeネタのサルベージばかり。
先日、ミヤコの某所にある、かなり由緒の正しい神社に打ち合わせに行った帰りに、社務所を出てふと目に留まった看板。なるほどそりゃそうだよね、と思った。ここのような有名神社に元旦に初詣というのは昔なんどかしたことがあるが(今は帰省した田舎の小さな神社。ここで真夜中に焚き火を囲んで飲む甘酒が旨い。余談。)あれだけの巫女さんを年中抱えておくわけにはいかないよな・・・と、次の仕事まで時間があったので、『今年の年越しは、一人で巫女のアルバイトをすることになったので、田舎(東北とか日本海側)に帰省することをやめた女学生』という妄想をしながら、川原町まで歩いた。・・・妄想については、35度もある中を歩いたので、責めないでいただきたい。妄想した物語のキモは“彼女はなぜあえて巫女のバイトを選んだのか”という軽いどんでん返しな結末にあるんですがね(危)。ちなみに、巫女という仕事は、男女雇用機会均等法から正式に除外された職業に分類されています。豆知識。・・・これこそ、そりゃそうだな。
話はかわるが、子供の頃、京都からそんなに離れていないところに住んでいたので、毎冬年明けに、父の運転する車で祖父母と4人で京都には訪れていた。祖父母が建具屋を営んでいたので、商売繁盛のお札を貰いに来ていたのだ(どこの神社だったかは忘れた)。真っ赤な鳥居が沢山あった気がするので、伏見稲荷だったのかもしれない。雪のちらつく中、お札を貰って、市内のいつも決まったうどん屋で昼食をとり、八つ橋(ハードタイプ)を買って帰った。そして、その頃自分は、その日帰り京都旅行があまり好きではなった。その頃の自分は、うどんと八つ橋(ハードタイプ)に釣られるほど、枯れていなかった・・・ということではなく、車窓から眺める京都が、いつも曇っていて、活気がなく、現実感のない色の薄い街に見えたからだ。行ってもあまり楽しくない街、だった。
今でも、京都には“閉じられた街”というイメージが付きまとう。仕事の関係でよく言われる“京都人は閉鎖的どすからな”という意味ではない。町並みが古いから、でもない。繁華街を歩いてもそのイメージは同じだ。歴史には疎いしあまり興味もないが、かつて朝廷が置かれたり、宗教的に重要な意味を持っていたり、戦乱に巻き込まれたりと、他の都市と遜色がないどころか、常に中心的でありながら、“それはそれとして”といった諦め感が街に漂っている。これは今まで、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸と暮らしてきて、皮膚感覚として感じることであって、根拠はないけど。地政学的にどうのとか、都市の持つ霊性がこうだ、とか、そんな本も読んだ気がするが、ここで掘り下げられるだけの知識もないので、このへんでやめておきます。
30年前の雪のちらつく曇天の京の街を家路に向けて駆け抜ける車の中で八つ橋(ハードタイプ)を咥えながら退屈そうに外を眺めている自分と、30年後のアスファルトの溶けそうな暑さの中でニヤけ顔で巫女の女学生を妄想しつつタバコをふかして歩く自分が、35度の三条大橋の上ですれ違う。(狂)
ま、今はそんなミヤコがけっこう好きですけどね。麺類旨いし。
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Author:masa
芦屋と京都を軸に徘徊。
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