最近Youtubeネタのサルベージばかり。
画面に直接Youtubeの画面を張るワザを獲得いたしました。
記念すべき第一弾はこいつ。途中から登場する赤い長袖Tシャツの男に注目。人間ワザではない。で、この人の名前はDavid Elsewhere Bernal(デビッド・エルスウェア・ベルナール)。まだこの映像の頃は売れていない時期だと思いますが、後に日本の皆さんの目にも触れることになります。その話はまた後で、ということで、まずは映像を見てください。
![]() | るきさん 高野 文子 (1996/12) 筑摩書房 この商品の詳細を見る |
![]() | 棒がいっぽん 高野 文子 (1995/07) マガジンハウス この商品の詳細を見る |
ひとつ前のエントリーで、北村薫の『夜の蝉』を紹介したんだけど、この本を見つけたのは10年前、神田の書店街でした。元々、創元社の推理文庫シリーズやSFシリーズは面白いものが多くて好きだったんだけど、『夜の蝉』については何の知識もなく、表紙絵で購入。高野文子のイラストだったからです。内容も、高野文子の表紙絵が本当にぴったりでした。古本屋を巡るのが趣味の地味な女子大生が主人公で、日常のちょっとした謎(例えば本屋で、いつも目にする度に、ある本だけが逆様になっている)を、探偵役である知り合いの落語家に話すと、その裏に思わぬ深い人間模様が広がっていることがわかる・・・という体裁の連作です。特に殺人や大きな事件は起きるわけではなく(4作目でやっと事件らしい事件が起きるが、これも傑作)すべて身近な日常が舞台でありながら、少し視点を変えるだけで、こんなに深く味わいのある物語が構築できるのかと、驚くばかりです。突拍子もない設定や、キツいキャラ立ち勝負な作品が流行る日本のミステリ界隈にあって、こういう骨太で静謐な作風は貴重だと思います。因みに、北村薫は男性で、元埼玉県春日部市の高校教師だったそうです。よってこの作品の舞台も神田神保町と春日部がメインです。春日部といえばクレヨンしんちゃんの舞台ですね。まったく関係ないけど。
で、創元社から発売されている北村薫の作品すべての表紙絵を手がけている高野文子ですが、非常に寡作でデビューしてから25年経つのに作品が6作品しかありません。しかし天才との呼び声が高く、特に同業者から絶大な評価をされているようです。僕も10年ほど前に『棒がいっぽん』という短編集を何気なく買って依頼衝撃を受け、過去の作品をかき集めました。なかなか言葉では良さを説明しづらいのですが、一言でいえば、シンプルな線で描かれた描写の細部に神が宿っているという感じです。北村薫と同様に、特に事件が起きるわけでもない日常を描いた作品が多く、描かれる世界は静かです。作品ごとに作風を変える器用な人で、ポップな作品もあるのですが、やはりどこかおだやかで、寝る前に読むには最適な本です。特に『棒がいっぽん』の中に収められている『うつくしき町』という昭和40年代を舞台にした、若夫婦の物語は必読です。
今日のミヤコは37度でした。この37度ってのが曲者で、体温と同じってところがぬるい湯の中で溺れているみたいに逃げ場のない感じ。肺の中にも外気がずっと入り込んだまま溜まってるみたいで、もう耐えられないですね。3時頃、お仕事で金閣寺の北の山中に行ったのですが、そこはかなりひんやりで、そのまま山中に一句詠みながら世捨て人として隠遁するところでした。で、最近富みに感じることですが、子供の頃ってこんなに暑くなかったと思うんですよ。でも37度って数字には記憶があって、昔も今も夏は最高気温ってこんなものだったはず。となれば、今の37度が昔の37度より暑くなったか、もしくは自分が齢をとったからということになる。齢をとったからというのは身も蓋もないので、今の37度が昔の37度より暑くなったと考えてみた。で、その秘密を発見しました。確かに、湿度や、住んでいる場所によって同じ37度でも風が吹いているかどうかとか、いろいろ要因はあるだろう。しかし最大の原因はそんなところに、ない。
蝉だ。
蝉が五月蝿いのだ、昔より。
特にワタシの自宅の周りには、公園や庭付の戸建が多いせいか(ウチは築15年のボロ借家だが)蝉が朝から、全力で鳴きやがります。しかもクマゼミが。昔と今の夏の風情を一変させているのは、間違いなくこいつらだ。昔、ラジオ体操を終えて、朝飯食べて、10時に夏休み子供劇場の溶解人間ベムやメルモちゃんを見ている頃に鳴き始める蝉は、ミンミンゼミだった。ミーンミーンミーンミミミミ・・・という声を聞きながら、嫌々日誌を無気力に埋めていたのだ。そして午後、プールの帰り道に聞くのはアブラゼミのジジジジ・・・という声。少し短くなり始めた日暮れに聞くのはヒグラシの声。クマゼミのわしゃわしゃした声はむしろレアサウンドだったはず。この平気で温度を2、3度上げてくれそうな必死感漂う風情のない鳴き声が、昔と今の37度を変えているのだ。つまり、体感温度ならぬ、聴感温度だ。
で、ちょっと調べてみたら、それは事実でした。ある大学がセミの種類別固体量と分布を調べたところ、昔に比べてクマゼミが圧倒的に固体数を増やしていて、夏の主役だったアブラゼミやミンミンゼミは何年もかけてゆっくりと、里山に追いやらてしまっているようなのです。さらに今年は数年に一度のクマゼミ大発生サイクルに当たっていたそうで。理由はよくわからないのだが、クマゼミは乾燥を好むので、人の暮らす街の環境の変化と何か関係があるのではとのこと。
とりとめもなくなってしまったが、今も(0時)近所のスーパーの街灯付近で、間違えたクマゼミくんが、一匹鳴いてます。寝ろよ・・・。
![]() | 夜の蝉 北村 薫 (1996/02) 東京創元社 この商品の詳細を見る |
追伸:北村薫はどれもすばらしいが、とりわけこの『夜の蝉』はすごい。ミステリなのに青春文学。鳴ける、もとい、泣ける。
http://www.youtube.com/watch?v=QoDgncDCYWY
下のエントリーでスクリッティ・ポリッティの古いプロモをYoutubeで見てたら、妙なクリップを見つけたのでアップ。間違いなく、当時のビデオクリップではなく、勝手に誰かが作ったものと思われるが、やけに合っててカッコいい。この曲がスクリッティのデビュー曲なんだけど、当時アナログでアルバムは持っていたんだが、この曲のシングルのB面曲がアルバム未収録で、海外から通販で、アナログシングルを結構イイお値段で購入。で、その数ヶ月後に復刻版CDが発売されて、・・・ええ、もちろん入っていたさ、ボーナストラックとして。余談だけど、スクリッティはよく、ブルーアイドソウルの走りとか、ニューウェーブ・ミーツ・ブラックミュージックとか言われますが、ワタシは『マーク・ボラン・ミーツ・プリンス』だと思ってます。ファーストアルバムだけだけど。間違いなく傑作。
![]() | ソングス・トゥ・リメンバー スクリッティ・ポリッティ (2004/03/24) EMIミュージック・ジャパン この商品の詳細を見る |
最近、猛烈に忙しかったり、猛烈に暇で鯛を釣りにいったり、で更新が滞ってしまいました。

↑こいつは、オーストラリアのフェアライトという会社で79年に開発された、シンセサイザーというよりサンプラーとシーケンサーの先祖のような機械なんですが、『英文ならワープロとしてもお使いいただけます』という1200万円の機材とは思えないサービス精神にしびれます。で、ワタシが幼い頃、音楽好きの友人からこのフェアライトの噂を聞いたのですが、曰く『この世のあらゆる音を再現できるらしい。』『無限に音色を表現できるらしい。』『世界で所有している音楽家は数人しかいないらしい。』と。まぁ『世界で数人』は大げさなんでしょうが、その前の二つは正しかったわけです。何しろサンプラーの先祖ですから、サンプリングすりゃ無限だわな。でも、このあらゆる音を表現できるっていう言葉は、今のようにネットで調べようもないし、なんだか魔法の機械な気がして、とても好奇心そそられてワクワクしたものです。で、当時どんな人がこいつを使っていたかというと、日本では坂本教授、PSY・Sの松浦雅也氏、海外では元バグルスでアート・オブ・ノイズのトレヴァー・ホーン。この機械がどんな音が得意なのかといえば、ミスターマリックの登場の音楽、あれがこいつで作った音です。所謂オーケストラヒットって、今ならちょっとした玩具でも出ますが、当時はこんな高額な機械を使って作られておられたと。何で急にフェアライトのことを思い出したかというと、前のエントリーでDSKさんが、トレヴァー・ホーンの話をされていたのと、併せてコメントしてくれてた、プリファブのパディ・マクアルーンのグレイトフル・デッド面を見てたら、最近のスクリッティ・ポリッティの面を思い出した次第です。スクリッティもこの夢の機械を多用しておられたようです。
http://www.youtube.com/watch?v=sZ4_NMSKRtE
あぁ、やっぱりスクリッティ・ポリッティ、いいなぁ・・・
久々に早く帰宅できたので、黒ビール飲みながら更新。
また少し変えてみた。自宅のエアコンが壊れてしまい、子供の頃、クーラーなんてなかったときのことを思い出します。思い出しても涼しくはならないんだけど。昨日は芦屋の花火大会だったんだが、偶然近所の少し高台になっている公園から見えることを発見しました。そこにいたのは、ちょうどこれから火の用心で見回りの町内会のおじいさん数人。すこし見てから『さぁ、ひと回りするか!』と拍子木を打ちながらいなくなりました。ちょっとお酒入ってるのか彼らはご機嫌で、それはそれでいい人生なんだろうなぁ・・・と、なんとなく思ってみたり。
・・・明日はまた暑いミヤコでお仕事です。帰りに仕事場近所のレコード屋を久々に覗いて帰るか。
![]() | 夜は短し歩けよ乙女 森見 登美彦 (2006/11/29) 角川書店 この商品の詳細を見る |
1944年10月24日、アメリカ軍第34師団141連隊第一大隊(通称:テキサス大隊)が、ボージュの森でドイツ軍に包囲されていた。大隊は絶体絶命の危機にさらされており、軍部の中でも『失われた大隊(Lost battalion)』と言われつつあった。命運尽きたかと思われたテキサス大隊だが、翌10月25日、状況が変わる。包囲するドイツ軍が、テキサス大隊とは別の軍隊と激しい戦闘を始めたのだ。激烈を極める戦闘の中から『バンザイ!』という雄たけびを、塹壕を包囲され、身動きが取れないテキサス大隊の兵は何度も耳にした。
彼らを救出にやって来たのは、ルーズベルト大統領から直接命令を下された『第422連隊戦闘団』。後に、第二次世界大戦中、最も多くの勲章を受けた優秀な戦闘集団として名を馳せた部隊である。
そして彼らは全員、日本人。
正確に言えば442連隊は強制収容所に入れられた日系人で編成した部隊であった。実は442連隊が編成された背景は、非常に政治的なものであった。当時の日本が、“白人支配の打倒”を謳い、在米邦人の強制集所送りを“横暴の実例”であるとしたため、それを覆すべくアメリカに忠誠を尽す日系人というイメージを作る必要に迫られたためである。ただ、それ以上に、軍事訓練において日系人部隊が非常に優秀な成績を収めていたため、ただのプロパガンダでは終わらなかったのであった。彼らは人種差別と戦いながら、転戦する度に戦闘能力を高め、後にドイツ軍から『バンザイ突撃』と恐れられた捨身の突撃法で戦果と名声を上げていったのである。
このボーシュの森の戦闘は、後に陸軍十大戦闘に選ばれていることからもわかるように、熾烈を極めるものであった。部隊の死傷率314%という数字もその激しさを物語っている。しかし、一進一退を繰り返しながらついに、テキサス大隊が立て篭もる塹壕に442連隊が到達した。テキサス大隊を包囲するドイツ軍はついに撤退したのだ。塹壕の中からアメリカ兵は飛び出し、救出にきた442連隊の兵と抱き合いながら感謝の言葉を口にする。しかしその時、あるテキサス大隊の兵がこう吐き捨てた。『なんだ、ジャップか・・・』442連隊のある兵がそれに対しこう言った。『俺たちはアメリカ陸軍の兵だ!言い直せ!』
442連隊は、211人のテキサス大隊の兵を救うため800名の死傷者を出していた。その後、ある将軍の閲兵の際に、整列した442連隊を見て『全員参加させろと言ったはずだ!』といった。それに対し連隊長はこう言った。『これで全員です。』2800人ほどいた442連隊の兵は、激しい戦闘を繰り返すうちに1400名まで減っていたのである。
この442連隊が、アメリカでもっとも多くの勲章を受けた部隊として有名であることは先ほども書いたが、そのうちアメリカ軍の中で最も栄誉ある章である“議会栄誉章”を与えられたサダオ・ムネモリ上等兵の受勲理由は、友軍を守るため、敵兵から投げ込まれた手榴弾の上に自らの体を被せ、戦死したというものであった。
彼らが積み上げた栄誉の数々は、のちの公民権運動の中で、日系人の地位に大きな影響を与えることになってゆくのである。
写真はイチゴ農家で働く母の生活を助けるために志願兵となったカリフォルニアの日系人。
僕はセイビング・プライベート・ライアンより、このお話の方が心動かされるのですが、まぁ、アメリカ資本ユダヤ資本のハリウッドでは絶対無理でしょうな。
終戦日を前に、夏休みらしい読み物ということで。
役に立たないといえば、こんな役に立たない話もないんだが、二つ前のエントリでトム&ジェリーについて書いてから、ちょっと昔のカートゥーンについて興味が沸いたのでいろいろ調べていたところ、衝撃画像を発掘しました。
トムとジェリーをハンナ=バーバラが製作開始したのは、第二次世界大戦中の1940年のことですが、実はそれより20年以上も前に、MGM社によってトム&ジェリーのプロトタイプが製作されていたのです。
その画像が、これ。↓
嘘だろ・・・。
こ・・・この、アタマ悪そうな中年2人組が・・・トムとジェリー・・・。
子供が見たら、うなされるぞ・・・。
![]() | そして天使は歌う〜ぼ、ぼ、僕らは正義の味方〜 ブラザー・トム、ミッキー・カーチス 他 (1998/06/05) バップ この商品の詳細を見る |
![]() | ともあれ、人生は美しい―昭和を生き抜いたジェリー藤尾の真実 ジェリー藤尾、小田 豊二 他 (2005/09) 創美社 この商品の詳細を見る |
僕が子供の頃は、子供達が学校から帰って一息つく時間を狙って、TVでは必ずアニメを放送していた。夕方の5時から6時の間なんだけど、きっとこれは母親が晩ご飯を作る時間なわけで、子供がヒマにしていると邪魔になるので、そういう需要があったんだろうね。今はどうなんだろ?夕方やっているのかな。深夜と日曜の早朝とか、どうもアニメ自体がチビッ子のモノではなくなったあたりから、放送時間も変わってきた気がするな。あの頃、ルパン三世は夕方やってたけども。
で、その頃(たぶん7歳とか8歳)、夕方の時間帯で「トムとジェリー」を放送していたわけです。「トムとジェリー」はもちろん書くまでもなく米国の映画会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)社製作のアニメーションだけど、僕はとても好きで、何度も再放送される度に見ていました。ちなみに、トムとジェリーのそれぞれの本名は、“ジェリー・マウス”と“トーマス・キャット”。トムがトーマス・キャットだってのはあまり知られていないと思います。話が逸れました。で、見たことある人はよく覚えてると思うけど、オープニングは・・・
こんな感じの絵に、陽気な感じのオーケストラのオープニング曲がかかって始まるわけです。で、これも見た事ある人だったらわかっていただけると思うんですが、この作品の魅力は、ドタバタなストーリーより、トムやジェリーの暮らすアメリカ郊外のけっこうアッパーな家庭の風景や、50年代のアメリカのライフスタイルや、ジェリーが狙う食卓のディナーだったりだと思うのです。七面鳥の丸焼きや穴だらけのチーズや、分厚いボーンステーキとかね。おそらく、描かれる風景を見て、漠然とアメリカンライフに憧れを抱いた子供は、この国に相当いると思います。・・・で、だいたい放送時間が晩ご飯前ですので、母親から「ごはんよっ!テレビ消して早くきなさい!」と怒られたりなんかして、自分の食卓にあがっている煮物や、惣菜屋のコロッケなんかを見て“生まれ変わったらアメリカ人になってやる!”なんて思った子供も、相当数いたと確信しています。
・・・また話が逸れましたが、ある日、いつものように学校から帰ってテレビをつけると、いつもの♪ホワンワワン〜ホワンワワン♪テテテテ〜♪というオープニングテーマではなく、かなりファンキーなドラムとホーンが・・・そしてオープニングの絵も↓
↑こんなのでした。“いつものトムジェリじゃない!”正直覚えていませんが、多分そんなことくらいしか思わなかったと思います。で、また内容もとってもおかしくて、2人(二匹)が住んでいる家も、マンハッタンなのかロサンゼルスなのかわかりませんが、とにかく都会の高級レジデンスの最上階。いつもの牧歌的な50年代のアメリカの郊外ではなく、高層ビルが乱立する、夜の街でした。色使いも、紫色や茶色、目の覚めるような赤や青など、激しく明滅する原色があふれかえるサイケな世界に、ずっとオープニングのファンク色の強いジャズが鳴りまくってました。(もちろん小学生にそんなことわからないわけですが)ストーリーもぶっ飛んでいて、深夜、トムが寝床で丸まって寝始める頃、壁の穴の中でジェリーが目を覚まします。ジェリーはネズミ専用のエレベーターで高層マンションの地下深くまで降りてゆきます。そしてジェリーが配管がうねる地下深くの小さなドアを開けると、そこは激しくステージライトが明滅するネズミ専用のアングラジャズクラブ。ジェリーはドラムセットの前に座り、狂ったようにドラムを叩きます。ベース、ギター、オルガン、ホーンが奏でるレアグルーヴ(笑)。そしてその音が配管を伝わり、やっと寝付き始めたトムの安眠を妨害して・・・後の展開は、まぁいつものドタバタなんですが、その間もレアグルーヴなジャズファンクが終始鳴っていて、とにかく熱い。で、最後は眠れないまま、朝を迎えたトムが狂って、目が紫色と黄色みたいな常人には思いつかないような色使いでグルグル回って、狂人のように笑いながら、壁をぶち破って、マンハッタンの朝焼けに向かって空中を走り去っていくのを、欠伸しながら寝床に入るジェリーがクールな眼差しで追って終わるんですがね・・・。“こんなのいつものとむとじぇりーじゃないやい!”なんて言えない迫力・・・というより、ものすごく不道徳な感じがしたんですね、当時。
で、最近、TUTAYAでTVシリーズがDVD化されているのに気付き、探してみたら発見しました。その回のタイトルは『ロックンロール騒動』。・・・見ていただいたらわかると思いますが、ガンガン鳴っているのはロックではなくファンキーなジャズなんですが、そういうタイトルでした。僕達が憧れた郊外型のアメリカンライフなシリーズを監督していたのは、トム&ジェリーの生みの親でもある、ハンナ=バーベラという2人組なのですが、本編の監督はチャック・ジョーンズというお方。
こんな人です。で、他にもこのチャック・ジョーンズさんが監督されている話が何話かDVD化されておりまして、一通り見たのですが、案の定、どれもこれもおかしくて、使われているBGMも演出も一癖二癖もあるものばかりでした。いろいろ調べてみると、やはりという感じもするけど、トム&ジェリーファンには受け入れてもらえていないようで、むしろ『無理やり自分の世界に当てはめようとした』とか『当時のヒッピームーブメントなどに影響を受けており、ハンナ=バーバラの世界が崩されている』というような評価が多いようです。しかし、このチャック・ジョーンズさんは、実はカートゥーンの世界では非常に有名な方で、代表作は『ルーニー・テューンズ』や『バックス・バニー』。2002年まで存命だったのですが、その後彼のドキュメント映画が製作され、スピルバーグやロビン・ウィリアムスが支持を表明していたり、実は評価の高いアーティストだったんですね。
・・・というような話は余談でして、とにかくトム&ジェリーは、子供心に“ワインや七面鳥やボーンステーキのある食卓”への憧れと、“自分の家の全体的に茶色系な食卓”へのやり場のない軽い怒りを植えつけられたのと同時に、僕の中ではそこはかとなく“音楽ってカッコいい”という、字で書くと恥ずかしいけど、今の自分の趣向の原点みたいなものが生まれた瞬間だったと、まぁそんな話です。
追記:トム&ジェリーには、また違った意味でヘンなシリーズが存在します。アメリカではなく、今でこそアートアニメーションの世界では有名ですが、当時まだ鉄のカーテンに囲われていた東欧の国チェコで製作されたシリーズです。それはまたいつか改めてエントリしようと思ってます。
Author:masa
芦屋と京都を軸に徘徊。
お気に召されましたらコメントお願いします。