最近Youtubeネタのサルベージばかり。
最近、当ブログがファンサイト化しつつあるMashcucumber、ついにメルツバウや山本精一氏、jackie‐o motherfuckerと同じステージに立つ!・・・とういうわけで、『いいにおいのするアヴァンミュージックフェスティバル3@クラブメトロ』に行ってまいりましたよ。5時開場だったんですが、最初からけっこう来場者は多くてオープニングの5時半少し前にはフロアは、ほぼ人でいっぱいでしたわ。私はかなり早めに入っていたのでビールが置けるテーブルを確保。今回もステージ上ではなく、人のいないフロアにポツリと立つ二本のマイクを見て『あぁ、今日もステージ上ではなく、あくまでオーディエンスと同じ目線に立つ気か・・・。』とか思っているうちに、マイク周辺はステージを向いた聴衆にどんどん埋め尽くされていきました。・・・まずい。これではMashが動けない・・・などと不安になっているとこの曲が。↓(カセットクリック後、開いたHPの曲タイトルをクリックで自動再生)
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聴いていただけたでしょうか?
めちゃめちゃ良いセンス。
ちなみにこの曲、ライブ前にMUXで送ってもらって聴いていたのですがメトロのフロアで聴くとまたかなりカッコいい。そんな中、Mushcucumber登場。
・・・すみません、またこんな写真で。いや、本当にすごい人でこれでも随分がんばって撮ったほうなです・・・。
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そして『UFOさん』(笑)から、怒涛のMashワールドへ。『Sexy』→『JINRO』の流れなんですが、この『JINRO』ではやはりクラブだけあって物凄く良い音。鳥肌が立ちました。僕の見る限りではお客さんの反応もかなり良かったのではないかと思いましたね。その後に続くメルツバウやツジコノリコさんやjackie‐o motherfuckerの客層が多いはずなので、さすがにJINROダンスを一緒に踊る人は少なかったですが(笑)曲終了後の歓声&笑いはかなりなものでしたので、しっかりと“アヴァン・ミュージック”な匂いが伝わったのではないかと思います。
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その後、メルツバウ+山本精一氏、Vampillia、ツジコノリコさん、Jackie-0 motherfuckerと続くのですが、感想はまたの機会に。
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楽屋でMashさんにUltra BideのHIDEさんまで紹介していただいてしまってかなり幸せな京都の晩。
今日の北大路でのライブも行きたかったのですが、残念。次回は必ず!
やっと涼しくなって、ちょっと街にでもくりだしてみようかなんて季節になってきたわけですが、気をつけないと、隕石落ちてきたりしますね。こんな話本当にあるのか・・・と思いますが、南米に隕石が落下、そこから謎のガスが噴出して、何百人という住民が頭痛や吐き気を訴えて病院に収容されたらしいです。少し前のニュースなんですが、大体こういう話って続報が出ませんね。時を経るにつれ、ウヤムヤに。ヤバすぎて意図的に隠しているのか、調べてみたらなんでもなかったとか(おそらく後者)、どちらにせよ、この隕石話もいろいろと事情がありそうですな。
隕石とはまったく関係ないですけど、時計欲しいなと。候補のひとつはこれ。
ヌーカっていうんですけど、とにかく時間がわかりづらい、見にくい時計ってコンセプトらしいんですが、ニューヨークのデザイナーでマシュー・ウォールドマンって方が主催するブランドです。この人は『妖精労働組合』という、なんだかわからないこともされてます。
http://www.fairylaborunion.com/
先日、ミヤコの某所にある、かなり由緒の正しい神社に打ち合わせに行った帰りに、社務所を出てふと目に留まった看板。なるほどそりゃそうだよね、と思った。ここのような有名神社に元旦に初詣というのは昔なんどかしたことがあるが(今は帰省した田舎の小さな神社。ここで真夜中に焚き火を囲んで飲む甘酒が旨い。余談。)あれだけの巫女さんを年中抱えておくわけにはいかないよな・・・と、次の仕事まで時間があったので、『今年の年越しは、一人で巫女のアルバイトをすることになったので、田舎(東北とか日本海側)に帰省することをやめた女学生』という妄想をしながら、川原町まで歩いた。・・・妄想については、35度もある中を歩いたので、責めないでいただきたい。妄想した物語のキモは“彼女はなぜあえて巫女のバイトを選んだのか”という軽いどんでん返しな結末にあるんですがね(危)。ちなみに、巫女という仕事は、男女雇用機会均等法から正式に除外された職業に分類されています。豆知識。・・・これこそ、そりゃそうだな。
話はかわるが、子供の頃、京都からそんなに離れていないところに住んでいたので、毎冬年明けに、父の運転する車で祖父母と4人で京都には訪れていた。祖父母が建具屋を営んでいたので、商売繁盛のお札を貰いに来ていたのだ(どこの神社だったかは忘れた)。真っ赤な鳥居が沢山あった気がするので、伏見稲荷だったのかもしれない。雪のちらつく中、お札を貰って、市内のいつも決まったうどん屋で昼食をとり、八つ橋(ハードタイプ)を買って帰った。そして、その頃自分は、その日帰り京都旅行があまり好きではなった。その頃の自分は、うどんと八つ橋(ハードタイプ)に釣られるほど、枯れていなかった・・・ということではなく、車窓から眺める京都が、いつも曇っていて、活気がなく、現実感のない色の薄い街に見えたからだ。行ってもあまり楽しくない街、だった。
今でも、京都には“閉じられた街”というイメージが付きまとう。仕事の関係でよく言われる“京都人は閉鎖的どすからな”という意味ではない。町並みが古いから、でもない。繁華街を歩いてもそのイメージは同じだ。歴史には疎いしあまり興味もないが、かつて朝廷が置かれたり、宗教的に重要な意味を持っていたり、戦乱に巻き込まれたりと、他の都市と遜色がないどころか、常に中心的でありながら、“それはそれとして”といった諦め感が街に漂っている。これは今まで、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸と暮らしてきて、皮膚感覚として感じることであって、根拠はないけど。地政学的にどうのとか、都市の持つ霊性がこうだ、とか、そんな本も読んだ気がするが、ここで掘り下げられるだけの知識もないので、このへんでやめておきます。
30年前の雪のちらつく曇天の京の街を家路に向けて駆け抜ける車の中で八つ橋(ハードタイプ)を咥えながら退屈そうに外を眺めている自分と、30年後のアスファルトの溶けそうな暑さの中でニヤけ顔で巫女の女学生を妄想しつつタバコをふかして歩く自分が、35度の三条大橋の上ですれ違う。(狂)
ま、今はそんなミヤコがけっこう好きですけどね。麺類旨いし。

カレーの次はラーメンかい・・・という感じがしないでもないんだが、ラーメンについてはかれこれ20年近く食べ歩いている。北は北海道から、南は鹿児島までラーメン食べたい(by矢野顕子)メインで旅をしたことがある。一番きつかったのは、学生の頃、喜多方まで青春18切符で旅をしたときだった。各駅停車に乗っている時間もさることながら、その時、初めて一人旅というものをしたわけだが、食べ終わって食欲が満たされたあとの何もすることがない感ときたら、筆舌に尽くし難いものがあった。確かその時は、歴史にそんなに興味ないくせに、会津若松の白虎隊記念館に行ったりした気がする。で、色々好みはあるとは思いますが、僕は醤油派です。『豚骨醤油』とか『魚介類系』とかでなく、澄んだ醤油が好きです。ラーメンではなく、“中華そば”と呼んだほうが似つかわしいタイプのね。例えば京都なら白梅の『将陽』だったり、名古屋なら『呑助』、東京なら『勝丸』や『井上』、西なら尾道の『朱華園』とか。そんな僕の中華そば手帳に、もう一軒新たな店が加わりましたよ。
と、言いながら実は二回目なんだが、兵庫県小野市にある播州ラーメンの『らんめん』さんです。写真を見てもらえばわかるんだけど、ラーメンっていうより中華そばでしょ?澄んだ醤油に叉焼にネギ。玉子はトッピングだけど、極めて絵的に完成された“中華そば”のお姿。これにナルトがのってたら、小池さんが食べざるを得ませんよ。味は見た目よりしょっぱくなくて、まろやかで甘い。この甘い醤油というのが、“最後のご当地ラーメン”(byオレ)播州ラーメンの特徴で、そもそもそういう醤油を使っているのに加え、玉葱などの野菜でまろやかさを出す。一言でいうなら、とっても優しい中華そば。
この味は、播州という土地と歴史に大きく関わっていて、この『らんめん』さんも、60年の歴史がある。播州という土地はその昔、繊維産業が活発で、地方からたくさんの女工さんたちが出稼ぎに来ていたわけだ。親元を離れ、心細い寄宿舎暮らしをする少女達に、せめても食べやすくてホッとする味を・・・という配慮が、次第のこの土地の食堂が出す中華そばを、甘く優しい味にしていったわけですね。・・・いい話だなぁ。
尾道の中華そばも、かつて尾道が軍港であった事と無関係ではないし、京都の中華そばはそのまま京都という街の戦後史と重ねることができる。いわゆる“ご当地ラーメン”ってのは本来そういった何がしかの背景が作るものであって、全国に乱立してしまった『流行りみてーだから、オラの村もイッチョ特産品でも使ってご当地ラーメンするべ』的な村おこしラーメンや、ふるさと創生事業ラーメンみたいなのは、僕は好きになれない。あと、TV○ャンピオンやグルメぴ○で優勝しましたってのも、信用しない。
“ラーメンは日本の文化であり歴史である”・・・と、昔買った全国ラーメンガイドには書いてあった。それが本当なら、その文化や歴史の裏側にある物語は、そんなに幸せな物語ばかりじゃないかもしれない。
きっと60年前の女工さんの食べたそばには、生卵なんて入っていなかっただろうな。美味しかったけど。
役に立たないといえば、こんな役に立たない話もないんだが、二つ前のエントリでトム&ジェリーについて書いてから、ちょっと昔のカートゥーンについて興味が沸いたのでいろいろ調べていたところ、衝撃画像を発掘しました。
トムとジェリーをハンナ=バーバラが製作開始したのは、第二次世界大戦中の1940年のことですが、実はそれより20年以上も前に、MGM社によってトム&ジェリーのプロトタイプが製作されていたのです。
その画像が、これ。↓
嘘だろ・・・。
こ・・・この、アタマ悪そうな中年2人組が・・・トムとジェリー・・・。
子供が見たら、うなされるぞ・・・。
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Author:masa
芦屋と京都を軸に徘徊。
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